三谷光男

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2011年5月 9日 (月)

2011年5月9日(月)

57日、8日の両日、陸前高田市の避難所7か所を訪問しました。

57日未明に東京・議員会館を車で出発。まず東松島に向かいました。東松島では今週2日から「くれ災害ボランティアセンター」を中心とする「チーム広島」が活動中です。陸前赤井駅前にあるボランティアセンター・サテライトに激励に立ち寄りました。東松島では、瓦礫の撤去がかなり進んでいる様子です。

その後、南三陸町、気仙沼市の被災地も見て回りました。いずれも市街地がほぼ壊滅状態になった被災地です。瓦礫の撤去も進んでいません。民間ボランティアの活躍の余地が少ない(重機で撤去するしかない)状態です。そして目的地である陸前高田市気仙町に入りました。

今回のミッションは、被災地の小さな避難所を訪問し、避難所の状態について聞き取りをすることです。党のボランティア支援室からカップラーメンを支援物資として持っていくように指示を受けましたが、カップラーメンは避難所ではあまりありがたがられていません。もみじ饅頭(これは広島から)や洋菓子、ふりかけ、紅茶パック等の嗜好品を大量に買い込んで(結構な出費になっていまいました)持っていきました。

最初に行ったのは、避難所マップでは「成田神社」と記載された避難所でした。正直とまどいました!想定される避難所らしきものがなかったからです。神社もない!成田山・金剛寺の周りに地元・町浦地区(地区は壊滅状態です)に残った住民がテントを張って暮らしていました。区長の菅野さんとお話をしました。寝泊まりをするところに間仕切りはあるかとか、食器は洗っているかなど(ミッションの目的は)衛生状態を訊くことになっていましたが、訊ける話ではありません。衛生状態など訊ける状態ではないのです。さまざまな不満の声をぶつけられました。聞き手に徹するしか手はありませんでした。

話のひとつ。厚生労働省(と言っていた)の役人が50部ほど壁新聞(政府広報です)(実はこれを配布することも目的のひとつでした)を持ってきて、「配ってくれ」と置いて行ったそうです。菅野さん曰く「どこに50戸も配るところがあるんだ」と。確かに地区は壊滅状態で、残った人たちはいくつかのテントで暮らしています。怒るのは当たり前です。何をするにしても配慮が必要だと思いました。

二日市公民館・避難所。子供たちも含めて50人くらいが暮らす小さな避難所です。広いとは言えない公民館の広間が、寝泊まりを含めて皆の生活のスペースになっています。「上がってくれ」と中に通されて菅野会長他数人の方々と座談会になりました。「市も県も議員も来ない」と言っていました。各避難所は「視察疲れ」「調査疲れ」が出ているといわれています。それは大きな避難所、状態の良い避難所の話です。「よく来てくれた」と歓迎されました。いろいろな話を伺いました。気仙町(長部地区)は、電気・水道の復旧が一番遅れています。まず電気の復旧が第一です。電気がなければ生活・衛生面の向上などありえません。ここでは間仕切りなど誰も求めていません。それより「まず電気を通してくれ!」です。最南端に位置するからか、陸前高田市の中でもここ長部地区の復旧が一番遅れているようです。電気・水道の復旧を強く要請されましたので力を尽くしたいと思います。

仮設住宅の話も出ました。地区対策本部のある長部小学校の校庭に44戸の仮設住宅の建設が進んでいます。建設中なのはここだけです。平地でかつ電気・水道が整備されてなければ建設できないなどといった条件は、この震災では適用できません特例でやらなければなりません。合わせて市も大きな痛手を受けています。国から人も含めて助力をしなければ仮設住宅の建設は進まないということがよくわかりました。

5月 9, 2011 日々実感 |